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zoom RSS 静岡県の古城・吉野屋敷(山本勘助誕生地)

<<   作成日時 : 2018/06/12 15:22   >>

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吉野屋敷(山本勘助誕生地) 築城年南北朝期 築城者吉野氏 種別 単濠単郭式館
      静岡県富士宮市山本

   
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吉野屋敷は富士宮市山本にあり、かって山麓を削平して台地状にし、三方に土塁と掘を巡らして山を背にした、中世士豪屋敷の形態を残している。
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土塁は北端にあって長さ10m余であるが、敷幅、上面幅とも後世の削土で消滅してしまった。
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北端の土塁は屈折して南方に走っていたが、近年平坦地と化してしまった。
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旧状は、土塁上が竹藪になっていたという。掘りは埋土されてまったく残っていない。
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屋敷内は、二段で構成され、上段の削平地は、元禄十二年(1699年)頃まで吉野家の本宅があった所で、それ以後は下の段に移築した。
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吉野氏は南北朝期頃からこの地に居住した小領主であり、室町・戦国期には、今川氏・武田氏に従属し、さらに徳川氏に従っている。
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近世には、数代にわたって代官職に就いた古い家柄であり、現在も残る長屋門は、その権勢を物語っている。
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吉野家に残る古文書からは、戦国期に、今川氏の国人領主として東駿一帯を支配した葛山氏広・氏元に従属し、戦功による感状や知行を与えられていることが知られる。
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吉野家は、南北朝期時代に大和国(奈良県)吉野冠者源重季が源流とされ、南北朝の争いの後、山本村に定住したとされ、清和源氏の流れをくんでいる。
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吉野家は武田家軍師山本勘助の生誕の地と言われている。
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父・吉野貞幸、母・安女(やすめ)の三男として生まれ、幼名は源助といった。
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軍学の師範をしていた父から、吉野家にあった兵法書を読み聴かせられ育った。十二歳の時、三河国牛久保の大林勘左衛門の養子となる。
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五十歳の頃、武田信玄に召し抱えられる、これは、吉野家が武田と同じ源氏の流れを汲む家系でもあり、穴山氏との血縁、地縁もあったからと。言われています。
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(参考資料として静岡県の中世城館跡 日本城郭大系・9 案内板 その他)

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