愛宕山城(あたごやまじょう)

愛宕山城(別名 茶臼山砦) 築城年永正元年(1504年) 築城者今川氏親 種別 山城
                 静岡県静岡市葵区沓谷城山
   
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愛宕山城は、今川氏時代の駿府の町々を北方より侵攻する敵に備えるような位置にあって、その外周の有度山と西奈郷の山々の間を通じて、北方に江尻の町及び今川氏時代の主要港「江尻湊」を城山の頂から望むことができる。
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また西に目を転じれば、今川氏歴代の居館であった府中館の詰城である賤機山城と相対している。
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永禄十一年(1568年)十二月、今川氏真は庵原郡の興津川原において甲斐の武田信玄に敗れ、駿府を捨てて遠州掛川に敗退ののち、武田氏は愛宕山神社本殿の、地、城山の最高所を本丸としており、したがってこの本丸の地は周囲から一段、15mほど高くなっていることからも明らかなように、天守台を想像させる。
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本丸の西は一段下がって小郭が付けられているが、現在一部分を残して削り取られている。
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本丸の北側の平場を二ノ丸と称し、東側の郭淵に沿って、土塁が北行している。城山は西から北へ多くの支尾根を発しており、東の長沼方面は垂直壁に近く南は谷津山に続くため、本丸の全面、小郭の外張り出す一郭は南方の続き尾根に対する腰曲輪であり、谷津山方面へ二本の空堀を設けている。
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城山の西側は本丸の前面、愛宕神社参道と二ノ丸の北西などに走る二つの尾根に挟まれた谷となり、数段の平場が重なる方面が大手口で、
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これを挟む先の二つの尾根には、西から東へ三本の尾根があり、それらにも平場と空堀が見られる。
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この尾根の基部には二ノ丸から北西へ走る尾根との分離を示す空堀が認められる、特に二ノ丸北側に「逆字形」の空堀を設けている。
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愛宕山城は谷津山の東端にある。徳川家康は天正十四年(1586年)十二月、浜松城から新築なった駿府城に移ったが、
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その時城の鬼門除けとして、京都の愛宕山権現を勧請したのが始まりで、本尊は騎馬の勝軍地蔵といわれている。
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同社の前にあった大頭竜神社は平安時代(793年~1185年)の創建という。
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ここは鎌倉時代(1185年~1333年)長沼五郎宗政の砦があったともいわれ、その後、室町時代の初め、応永(1400年前後)のころ、今川氏が駿府防衛のために築いた城砦群の一つである。
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さらに永禄十一年(1568年)以降十一年間、駿府を占領していた武田氏がかなりの改修を行ったようである。
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現在、愛宕神社の本殿のあるところが本丸で、その下の平場が二ノ曲輪、さらにその下から東へ延びる平場が三の曲輪で、今尚空堀や虎口(出入り口)、塁段などの遺構が見られる。三の曲輪の真下は第二次大戦後、市内の寺院が集団移転してできた愛宕霊園である。(参考資料として静岡県の中世城館跡 日本城郭大系・9 案内板 その他)

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