島原城(別名・森岳城)

島原城(別名・森岳城) 築城年慶長十九年(1614年) 築城者松倉重政 種別 平城
          長崎県島原市城内

日本百名城の91番目です。訪問日は1998年5月です。
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島原城は九州の雄藩外様大名の大城郭に取り囲まれながら、数少ない徳川譜代大名の居城として、その威信を賭けて築城された城です。
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築城は徳川家康・秀忠のもとで、政治手腕を発揮した松倉重政氏で、
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元和四年(1618年)から工事が始まり、四万石の居城としては異例中の異例と言える五層の大天守を中心に、
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周囲四キロに及ぶ総石垣の城郭を七年後に完成されました。
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寛永十四年(1637年)に勃発した島原の乱では、島原城は一揆衆の攻撃を受けました。
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島原城は、別名・森岳城とも呼ばれています。島原鉄道駅前からすぐ正面に見えていて、三分ほどで堀端に着きます。
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城の本丸は、標高30mの所に建っています。本丸は廃藩置県の時に焼失し、櫓は明治七年(1874年)から九年にかけて取り壊されてしまいました。
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城址は一旦は民間に払い下げされましたが、現在は市のものになっています、天守閣は昭和三十九年に復元されました。
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西櫓・巽櫓・艮(うしとら)櫓も復元されています。
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島原藩はのちには七万四千石になりますが、築城が始められた頃はまだ、四万石でありました。
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その石高から推測すると城の規模は大きく、石垣や堀は豪壮すぎる。
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本丸には五層の天守がそびえており、北には二ノ丸があり、本丸と二ノ丸を囲んで堀が巡らされています。
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天守には、装飾のための破風がありません。そのため階の重なりがどこか単調な形にみえます、全体的に派出な造りではありません。
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天和二年(1616年)奈良の五条二万石から移封された松倉重政は、ここ肥前島原で四万石を領することになりました。
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重政は築城の名手と言われ、小倉城・唐津城・平戸城・丸亀城などは彼の縄張りによるものと伝えられています。
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幕府の厳命によるキリシタン弾圧が最高使命であった有馬氏の拠点日之江城および原城をはじめ三十余りの出城や砦を全て取り壊し、
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現在地、森岳にその石材を運び、元和四年から七年三ヶ月の歳月と延べ百万人に上る領民の苦役を費やして築いたのがこの島原城(森岳城)です。
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松倉重政の築城技術の集大成とも言える島原城は、
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四万石の分限をはるかに越える規模を持つた連郭式平城で周囲四キロメートル余外郭に堀を巡らし、
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七つの城門と層塔風総塗込み式の天守閣、四十九の櫓、延べ二千二百米に及ぶ矢狭間堀を備え十万石格の大名の居城に四敵する豪壮な城郭でありました。
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寛永十四年(1637年)の島原の乱の責によって松倉氏が断絶した後、
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高力氏、松平氏(七万石)、戸田氏、再び松平氏と四氏二百五十年の歴史を経た島原城は、明治維新後の明治七年(1874年)大蔵省令によって廃城となりました。
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(参考資料として日本城郭大系・案内板 その他雑誌)
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