松ヶ埼城(別名 亀形ヶ鼻城)

松ヶ埼城(別名 亀形ヶ鼻城) 築城年不明 築城者小森氏 種別 丘城
     鳥取県東伯郡湯梨浜松崎

松ヶ崎城の築城年代は定かではありませんが。羽衣石城主南条氏の家臣小森の居城でありました。
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天正八年(1580年)、南条元続が毛利氏の攻撃を受けた時、
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松崎城主小森方高(まさたか)は、羽衣石城に籠城したが、
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寄せ手の尾高城主杉原盛重の内応を求めに応じたために討ち取られた。
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その後、松崎城には進氏が城主となったが、
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慶長五年(1600年)に南条氏が改易されたとき、羽衣石城共々廃城となった。
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江戸時代には、鳥取城主池田氏家老老和田氏が配され、東郷神社付近に陣屋(松崎陣屋)を構えた。
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東郷湖を見下ろす高台に築城された城またの名を、亀形(ききょう)ヶ鼻(さき)城といい、
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羽衣石城主南条氏の与力(侍大将)である小森和泉守方高(まさたか)が、天正年代居城していた。
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この時代は織田信長が羽柴秀吉に毛利氏を攻めさせていた時代で、
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この二代勢力に挟まれて土地の武士は複雑な戦いに巻き込まれていた。
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小森泉和守は南条方を離れようとして、進下総(すすみしもさ)に攻められ討ち取られたのが天正八年(1580年)九月であったと伝えられている。
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その後、進下総(すすみしもうさ)が城主となったが、
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南条氏が関ヶ原合戦で西軍に参加して敗れ、その後は羽衣石城とともに壊されてしまった。
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松崎城は東郷町松崎の東北の丘陵上にあったが、南条氏の家臣小森和泉守方高(まさたか)の居城であった。天正八年、南条元続が毛利氏の攻撃を受けて羽衣石城に立て籠もった時、小森方高も共に籠城した。
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元来、方高は堤城の山田雲守重直と親交があったので、前年、重直が主家との不和から討たれて以来、なんとなく心にそまぬものがあった。
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八橋の尾高城の杉原元盛はこれを察知して小森氏に使者を送り、味方につくように勧めた。方高もやがて同意し、毛利方に味方する手初めとして小鹿谷の上山を固め、進下総(すすみしもうさ)の陣所に夜討ちをかけて功労をたてようとはかった。
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ところが方高の部下に進下総と親交のある者がいて、この密計を進下総が急襲してきたので、寄せ手はさんざんに討たれ、百余人が討死した。
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(参考史料 日本城郭大系 現地案内板 その他雑誌)
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