田内城 

田内城 興国年間(1340年~46年)築城者山名時氏 種別 山城
         鳥取県倉吉市厳城

天神川と子鴨川の合流点西側の標高58mの半独立丘陵にあります。
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築城時期は興国元年(1340年)伯耆守護山名時氏によると伝えれています。
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丘陵南端頂部に主郭があります。
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北側に延びる丘陵尾根に曲輪を階段状に配しています。
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空堀も巡らし防御しています。
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丘陵西側には竪堀状の遺構が見られます。
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城跡の西側谷部の平坦地の発掘調査では、石列遺構や石敷遺構、輸入陶磁器などが見つかっています。
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守護所の可能性も考えられています。
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田内城は今を去ること六百五十年、山名時氏公(1299年~1371年)約二十年間の拠城であった。
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山名氏は清和源氏の名流で、上野国多胡郡山名(群馬県高崎市山名町)の出身で全国六十六か国の内十二か国を領し六分一殿と称せられる程の隆盛で、侍所長官として幕府にも重きをなした。
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建武四年(1337年)伯耆守護に任ぜられ、その治所としたのが、この仏石山頂に築いた田内城であります。
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東の山裾には国府、小鴨の両川が流れて自然の堀となり、また、水運にも利用されて城下町が発達し「見日千軒」と言われる程に繁栄しました。
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田内城は倉吉市巌城(いわき)の田内集落の南、仏石山の山頂がそうです。
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この附近は天神川の河川改修が行われて、往古の面影が残っていません。
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山名時氏(ときうじ)が塩治高貞(えんやたかさだ)を討ち取った功績により、興国二年(1341年)、因幡・伯耆の守護に任ぜられ、
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伯耆統治の本城として田内城築いたころは、北方小田(こだ)の小土産山(さっと)の城も曲輪内に取り入れており、東麓の河州を中心に見日(みるか)の町を抱え、この地方の物資の集散の中心を形成していた。
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山名氏は延文年間(1356年~61年)に打吹城を築き、そこに移るまでの約三十年間、この田内城を居城としていました。
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城は打吹城に移り、繁栄をきわめた町は川底に埋没してしまいました。
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現在は小高い岩山に城跡を残すだけとなってしまいました。本丸跡隅には模擬天守があります。
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往古を偲ぶ河川も今は改修され、伯耆の守護所などは跡形もない。仏石を刻んだ岩の北側から、細い道伝いに山頂(標高20m)に登ると城跡があります。
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(参考史料 日本城郭大系 城郭と城下町 山陰の城館跡 現地案内版 その他雑誌)































































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