若桜城(別名 鬼ヶ城)

若桜城(別名 鬼ヶ城) 築城年建仁年間(1200年~04年) 築城者矢部暉種 種別 山城
           鳥取県八頭郡若桜町若桜

鬼ケ城は若桜(わかさ)の町を眼下に望む標高452mの鶴尾山の山頂から丘陵尾根上に郭群を配しています。
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築城は南北朝期にさかのぼるとされ、後に木下氏の手で大規模に整備された織田豊臣期城郭の姿を良く残しています。
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鬼ケ城は矢部氏によって築かれ、十六代にわたる若桜統治の拠点であったといわれています。
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因幡から但馬・播磨に抜ける主要交通路を押さえる要衝の地であるため、戦国時代の天正三年(1575年)尼子氏の支配下となります。
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後には羽柴秀吉の配下である木下備中守が若桜二万石の城主となり、慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いで敗れるまで二十二年間若桜を統治した。
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関ケ原の戦い後には山崎家盛が入城したが、元和三年(1617年)の池田光政の鳥取移封に関連して山崎氏は備中に転封となり、
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鬼ケ城は池田氏の統治下にはいりましたが、一国一城令に基ずき鬼ケ城は廃城となりました。
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若桜城はJR若桜線の終着駅若桜で降りると左側に町を南から抱きかかえるように連なる鶴尾山が見えます、その頂上に鬼ケ城があります。
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そんなには高くはないですが山は険しく、城跡に相応しい雄姿を見せています。
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若桜城の起源や創築者などは種々異なる史料が存在しますが。
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昭和十六年に、八東町富枝の矢部家より「矢部氏系譜」が発見されまして、断片的でありますが若桜城の歴史が解明されるようになりました。
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城のある山(鶴尾山)は独立した山でありますが西南部には大平と呼ばれる山に連なるけれども尾根は低くて、さらに男山に空堀をもって男山としている戦国時代の典型的な城郭であります。
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現在、その尾根の一部を「馬場」と呼んでいます。
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また、城に登る道は三ケ所あります、城ケ谷・八兵衛谷、さらに推ケ谷からの道です。
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城は本丸・二の丸・小城・馬郭・三の丸の五郭からなっています。
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本丸には天守台を残している。
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木下氏以後は、二層の天守があったと考えられています。
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(参考史料 日本城郭大系 日本城郭事典 山陰の城館跡 城郭と城下町 現地案内版 その他雑誌)
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