佐賀田城(別名・相方城)

佐賀田城(別名・相方城・さがたじょう) 築城年永禄~天正初年(1558年~1573年) 築城者有地元盛 種別 山城
     広島県福山市新市相方


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現地案内板の縄張り図です。
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前方のアンテナのある山頂部が城跡です。
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相方城(佐賀田城)は、芦田川下流の神辺平野南側の丘陵上に位置する山城で、
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山頂には十数段の郭や石垣などの遺構を残しています。
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かってのテレビ中継塔建設工事では本丸一帯から軒丸瓦なども採集されています。
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城は、かってこの地域一帯で力をもっていた新市宮氏の亀寿山城の対岸にあり、
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山陽道一帯、東は神辺城から西は八ツ尾城まで、
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東西約20Kmの範囲を見渡すことができます。
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城の歴史は、直接に関係した記録がないため不明な部分が多いです。
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江戸時代後半の地誌「備陽六郡志」「西備名区」などに若干の記述があり、
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城主とされる有地氏については「萩藩閥蘭録」「相方村城主有地殿先祖覚」などによって、
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また、菩提寺本泉寺の過去帳縁起、城の建物を移築したという戸手天王社に残る鬼瓦銘文などで、
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断片的ながら知ることができます。
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標高191mの通称「城山」の山頂を中心にして、
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東西約1000m、南北約500mの範囲に城郭遺構が分布する大規模な山城であります。
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芦田川を挟んで正面に見える亀寿山城(標高139m)を本拠地として
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備後南部に勢力をもっていた国人領主の宮氏や、
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相方城(佐賀田城)より南の地域を本拠地としていた宮氏一族の有地氏などにより十六世紀前半には、
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中世山城として整備されていました。
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天文二十一年(1552年)に宮氏が滅んだ後は、
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有地一族が出雲国や備後国北部などに給地替えされるまで、
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相方城(佐賀田城)を拠点に当地を支配していた。その後は、毛利氏の直轄城となり、
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東方備えを目的とした近世城郭として整備され、関ヶ原の戦い(1600年)による毛利氏の撤退によって相方城(佐賀田城)は廃城となった。 (参考史料 現地案内板より その他雑誌)

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