鞆城(ともじょう)

鞆城(ともじょう) 築城年天正四年(1576年) 築城者毛利氏 種別 山城
        広島県福山市鞆町


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鞆城は、福山市鞆町の街並中央にあります。現在は歴史民俗資料館になっています。
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城跡は独立丘陵を利用したものです、
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天正年間(1573年~1592年)に毛利氏が将軍足利義昭を鞆に迎えた際に築城し、
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居館を設けたものであります。場所としては、
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鞆町市街地の中央にあって、
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西には沼隈半島を形成する急峻な山が迫り、
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東は燧灘(ひうちなだ)に面しています。
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城山の標高は24mと低いが、鞆の市街地全域を見渡すことができます。
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北方には備後安国寺、沼名前(ぬなくま)神社、
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南方には福禅寺・対潮楼・東方には海中に浮かぶ仙酔島・弁天島など、景勝の地を見ることができます。
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城の歴史は、天正四年(1576年)、毛利氏が織田信長に追放された将軍足利義昭を鞆に迎えた時築城したのが最初とされているが、
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鞆は港町として古くから栄えており、
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南方約300mにある大可島城は、南北朝の争乱時に戦場となって以後も海上交通の要所となっていたから、
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鞆城のある城山も古くから機能的には城としての役目を担っていたことが考えられます。
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足利義昭は六年間滞在しており、鞆幕府と言われていました。
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ここは鞆城の本丸跡です。
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丘陵を利用して壮大な二ノ丸、三の丸が築かれ、
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東端には福禅寺があり、北端には沼名前(ぬなくま)神社参道、
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南は湊に面していた。毛利氏が築いた城を、
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慶長五年(1600年)安芸・備後の領主となった福島正則が修築した。
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慶長十二年(1607年)の朝鮮通信使の日記に「岸上に新しく石城を築き、将来防備する砦のようだが未完成である」と記しており、
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その時、城は建設中だったことが知られる。
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元和元年(1615年)の一国一城令に先立って廃城となり、福島正則の後を受けて入封した水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置いた。勝俊が福山藩主となって以後は、江戸時代を通じて町奉行が置かれていた。
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(参考史料 日本城郭体系 現地案内板 その他雑誌)



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