茶臼山城(別名 周匝城)

茶臼山城(別名 周匝城) 築城年天文年間(1532年~1555年) 築城者笹部勘斎 種別 山城
       岡山県赤磐市周匝(すさい)

茶臼山城は、現在二層の模擬天守(展望台)が建てられています。
写真00824.JPG
本丸部分が城山公園として整備されて、車で簡単に登ことができます。
写真00767.JPG
本丸は、山頂部を楕円形の削平した曲輪を中心に二つの腰曲輪を伴い、
写真00768.JPG
堀切や竪堀を見ることができます。
写真00771.JPG
二の丸・三の丸(大仙山城)は、谷を隔てた尾根筋、別峰にそれぞれ出城的に独立一城別郭の形式の縄張りとなっている城です。
写真00775.JPG
茶臼山城の築城年代は明らかではありません。
写真00776.JPG
天文年間に笹部勘斎が居城して、天神山城主浦上宗景に臣従していた。
写真00778.JPG
天正五年(1577年)、宇喜多直家によって浦上が滅亡すると、備前東部、美作東部の国人達は美作三星城主後藤勝元を盟主にして、宇喜多直家に抵抗する。
写真00779.JPG
天正七年(1579年)、宇喜多直家は茶臼山城を攻め、城主笹部勘斎、仙千代父子は討死にし城は落城した。
写真00781.JPG
岡山県立備作高等学校の背後に聳える茶臼山(標高約180m)の上に在り、
写真00782.JPG
前は吉井川に沿える周匝平野、後は津山川を隔てて飯岡平野を望み、景観は非常に勝れている。
写真00783.JPG
本丸は東南に向かって広い楕円形をなし、二の丸はその西続きの山頂に、
写真00787.JPG
茶臼山城主について二説があるが、物証の多い笹部(佐々部)説によると浦上氏の臣とある。
写真00788.JPG
浦上宗景の天神山築城が享禄四年(1532年)、この城も享禄から天文年間に安芸毛利氏につながる笹部勘解由(かげゆ)が築城したと推測される。
写真00790.JPG
天正五年(1577年)天神山城主宗景の臣宇喜多直家が下克上にて主家天神山を攻め調略にて落城し、浦上氏は没落する。
写真00793.JPG
その後、当城主勘斎を始め毛利勢力下の美作諸城主は宇喜多直家に敵対したため、
写真00795.JPG
天正七年(1579年)直家は美作に侵攻を始め、
写真00799.JPG
当城は延原弾正・花房助兵門を将とする大軍に攻められ、
写真00812.JPG
城主笹部勘斎嫡子仙千代討死し落城となった。
写真00814.JPG
落城後五十三年、寛永九年(1632年)初代池田伊賀守長明、当地に配され二万二千石所領、十一代長準までこの地を治め、明治を迎える。
写真00815.JPG
本丸手前の位置には周匝だった池田家の墓地があります。
写真00816.JPG
江戸期備前領主として岡山城に入った池田氏は、周匝地域を一族や譜代の家老の知行地として宛がい、池田伊賀守が陣屋を構えた。
写真00817.JPG
(参考史料 日本城郭大系 現地案内板 茶臼山城史略記(周匝史跡保存会) その他雑誌)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント