津山城(別名 鶴山城)

津山城(別名 鶴山城) 慶長八年(1603年) 築城者森忠政 種別 平山城
        岡山県津山市山下

津山城は日本百名城の67番目です。    訪問日は2007年4月21日です。
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津山城は別名鶴山(かくざん)城と呼ばれ、森忠政が築城地と城下町の適地を探した時、当時の田中郷山北村津山に白羽の矢を立てた事によっている。
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現在は豪壮な石垣を残すのみだが、築城時には典型的な平山城として五層五重の天守がそびえる見事な城であった。
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築城者の森忠政は、岡山城主小早川秀秋の没後、美作国(岡山県)を与えられ、慶長八年(1603年)三月に、信州(長野県)川中島から入封した。
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築城地となった鶴山は、吉井川と宮川の合流部にあって、自然の地勢を上手に利用している。
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ここには嘉吉(かきつ)元年(1441年)に美作守護の山名教清の一門、山名忠政が城を構えたことがあり、
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森忠政は、この同名の武将の旧知を喜び、その霊を厚く敬ったというエピソードがあります。
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津山城の見所は何といっても一二三段に築かれた石垣郡だ、積み方、その高さ共に築城技術が最高潮に高まった時期に築かれただけに、とても見事なものです。
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縄張りの複雑さも相まって、何時間眺めていても飽きることがありません。
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表門から冠木門から三の丸へ、表中門跡の高石垣に見とれながら、石段を登ると、二ノ丸四脚門(現中山神社門)が立ちふさがる。
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切手御門の石段を経て、やっと本の丸入口の表鉄御門へ、
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津山城は、明治維新まで南蛮作りの天守が建てられていたが、この天守を中心とした天守曲輪が本の丸の一角の形成された複雑な縄張りがされている。
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名城といわれた天守などの建物は、明治七年(1874年)に取り壊されましたが、「切り込みハギ」「打ち込みハギ」といわれた見事な石垣が残されています。
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城跡は鶴山公園として花の名所になっています、桜林が約五千本の桜の木が植えられています。
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慶長八年(1603年)森蘭丸の弟、森忠政が信濃松代城から美作十八万六千石に移封されると、院庄に築城した。
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築城中、森氏譜代の重臣井戸鵜右衛門と忠政の妻の弟名古屋山三郎が、普請場でささいなことから争い、果ては相打ちとなった。
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忠政自身、院圧城は当座の腰掛城と考えており、この事件もあって工事は半年余で中止、今の津山市東郊の河辺郷日上と田中郷鶴山が物色されたが、鶴山に定まった。
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山名氏の築城より百六十余年、奇しくも同名の忠政によって本格的な築城が始められた。
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工事に先立って、家臣の薮田助太夫ら絵師大工の一行が豊前小倉(福岡県)に密行、海上から城の見取り図を作っていたところ、
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役人に発見され、城は軍事上の秘密、小倉城では大騒ぎとなった。
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しかし、城主細川忠興は一行を城内に招き、詳しい図面のみか、築城の注意まで与えて帰国させた。
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城が完成すると忠興から朝顔の花形の半鐘が送られ、この半鐘は天守の最上部に釣られ、大切に保存された。
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津山城築城400年の記念事業として天守の南東側に備中櫓が復元されました。2005年から一般公開されています。
(参考史料 日本城郭大系 城郭と城下町7 日本城郭事典 新版日本の城 その他雑誌)

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