中村城

中村城(別名 為松城) 築城年応仁二年(1468年) 築城者一条為松 種別 平山城
       高知県中村市中村町

中村の町は「土佐の小京都」と言われ、一条氏ゆかりの史跡が多い。
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町の中央の小丘に一条神社があり、ここに一条家の御所があった。近くに京町があります。
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中村城は、応仁二年(1468年)に、前関白一条教房が戦乱を避けて移り住み、かっての為松氏の居城を一条氏の居城としたものです。長宗我部時代には城代として谷忠兵衛が在城し、江戸時代初期には幡多二万石の山内氏が城主となっている。
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中村城跡は、街並みを眼下に見ることのできる古城山にあります。
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今は為松公園として市民の憩いの場所となり、一条公を偲ぶ市民の願望から、近年お城の天守閣を模した幡多郷土資料館が建てられています。
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昔の風景が再現した。元々この地は土豪の為松氏の居城であった所からの名で、一条家が入部するに及んで為松氏は家老職に取り立てられています。
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最初、中村へ下向した一条氏に対して、土佐の諸豪族達は、その毛並みの良さから土佐の国司とあがめ、初代教房・二代房家らもまた、よく豪族達の面倒を見た所から平和であった。
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しかし、五代目の兼定は暗愚であったばかりか、色を好み、結局、家臣の手によって夫人の生国・九州豊後へ追放されるというありさまだった。
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が、その陰には土佐統一を狙っていた長宗我部元親の黒い手が伸びていたことを見逃すわけにはいかない。そして、酒と女に溺れて滅亡への道を転げ落ちていった兼定の胸中には、あるいは、そうした元親の巧妙な策謀に対するやり場のない憎しみが渦巻いていたのかもしれない。
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一説では、「兼定飢えて死す」とあるが、とりもなおさず、無気力な公家大名の哀れな最後であった。中村の町は、そうした京の匂いを残す町でもあります。       (参考史料 日本城郭体系 城郭と城下町 8 現地案内板 その他雑誌)





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