姫路城(白鷺城)

姫路城(白鷺城) 築城年慶長十四年(1609年) 築城者池田輝政 種別 平山城
      兵庫県姫路市本町六十八番地

姫路城は国宝で1993年(平成五年)世界遺産に指定されました。
日本百名城の59番目です。 
訪問日1999年(平成11年)3月と2015年(平成27年)5月です。

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姫路城の上空にたまたま飛行船が横切っていきました。
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姫路城は、元弘の変(1331年)の時、赤松則村が上洛の途中、姫山に陣を構えたことに始まります。
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貞和二年(1346年)則村の子貞範が縄張りをし、室町時代を通し赤松氏が居城。
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戦国時代になり、中国征伐の羽柴秀吉が播磨三木城を滅ぼして姫路に入城します。
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天正九年(1581年)浅野長政に縄張りを命じ、旧姫路城を大改修した。関ヶ原合戦の後、徳川家康の娘婿にあたる池田輝政が入り、以後次第に城は整備されます。
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慶長十四年(1609年)には五層六階地下一階の大天守を完成させる。本丸・二ノ丸・三の丸・西の丸を内曲輪とし、平地に中曲輪・外曲輪を配し、三重の螺旋状堀を巡らせたのです。
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天下の名城「姫路城」を、築き上げた池田輝政は、慶長十八年(1613年)に四十九歳で病没した。跡を継いだ利隆は、元和二年(1616年)に京都で客死し、嫡子光政は翌三年、鳥取城に移された。池田家は結局、三代十七年で終わってしまった。
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跡を継いだ姫路城主となったのは、徳川家臣団の名門本多忠政であります。忠政は二代将軍秀忠の信任厚く、かつ、嫡子忠刻がその女婿であった関係から父子合計二十五万石を与えられて入部した。
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本多家が姫路移封の際、千姫に化粧料十万石が与えられた。その十万石で西の丸・三の丸の御殿を建てた。西の丸の化粧櫓と多聞櫓(長局)とは、一部を除いて、おおむね昔のまま保存されていて、千姫と侍女たちが暮らしていた雰囲気を今に伝えているといわれる。
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姫路城の七不思議
一 「西の丸の化粧櫓」です。千姫が、本多忠刻(ただとき)に嫁したときに造られた櫓です。通常の城には、化粧櫓などというものはありません。
二 「天狗の置文」、築城に際して天狗が置文をして、注意事項を教えてくれたそうです。それを守なかったため、城主池田輝政は病に倒れたと言います。
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三 「天守の妖怪」、天守にはヲサカベという妖怪が棲んでいるといいます。
四 「傾いた天守」です。東側から見ると天守が傾いているように見えます。
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五 「桜井源兵衛の墓」、天守を造った大工が桜井源兵衛でした。源兵衛は城普請の後に自殺してしまいました。その墓が城内にあります。
六 「お菊井戸」、播州皿屋敷のお菊さんが飛び込んだ井戸といいます。
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七 「腹切丸」で、曲輪の一角にいかにも切腹場のように見える場所があります。伝説に彩られた姫路城は、白亜の総塗籠(そうぬりごめ)であることから「白鷺城」と称され、華麗な姿を見せています。
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(参考史料 日本城郭大系 現地案内版 その他雑誌)






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この記事へのコメント

2020年06月27日 11:47
こんにちわ。

飛行船とコラボしているお写真、意外性が魅力のショットとすばらしいですね。

ブログを開設した年だったので7年前になりますが。母娘旅で神戸を訪ねたおり気まぐれに姫路城まで足をのばしたものの修復中だったために、その美しい姿を拝観することがかないませんでした。また機会があれば再訪したいと思っています。

記事の内容たいへん参考になりました。ありがとうございました。
城きち
2020年06月27日 19:55
小枝さん
コメント頂き有り難うございます。飛行船の写真は1999年3月に撮れました。2015年にお色直しをした姫路城を見てきました。姫路城はいつ見ても素敵な城ですね。