楠木氏居館

楠木氏居館 築城年代不明 築城者楠木氏 種別 居館
      大阪府南河内郡千早赤阪村

楠木正成は、南河内郡千早赤阪村に永仁二年(1294年)、この地に誕生したと伝えられています。
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文禄年間(1592年~96年)に増田長盛が豊臣秀吉の命を受け、土壇を築き、建武以後、楠木氏邸にあった百日紅を移植したという記録が残っています。
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また、元禄年間(1688年~1704年)には領主石川総茂が保護を加え、その後、明治八年、大久保利通が楠木公遺跡巡りの際、ここに石碑を建立し顕彰した。
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ここの地は楠木正成が生誕したという伝承の残る地です。
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くすのきホール建設に伴い発掘調査を行った際には、出土遺物も十四世紀のものが認められ、
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周囲の中世城群と合わせて考えると楠木氏との関連も推定することが可能です。
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また、付近には楠木公産湯の井戸の伝承地も残っています。
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楠木正成は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将です。建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は南北側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。鎌倉幕府からは「悪党」と呼ばれた。後醍醐天皇の側近として名和長年・結城親光・千種忠顕らとともに「三木一草」と呼ばれた。
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明治以降は「大楠公」と称され、明治十三年には正一位を追贈された。楠木正成ほど有名な人で、しかもこれほど素性の分からない人物はいないだろう。正成を祀る神戸の湊川神社では「橘朝臣正成」とし、橘氏の末裔とされていますが、河内を拠点とした土豪というのが本当の事ではないでしょうか。謎の多い人であった。
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(参考史料 現地案内板 その他雑誌)





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