松尾芭蕉ゆかりの城・福地城

福地氏城(別名 福地城・城の腰城) 築城年南北朝時代 築城者福地伊予守 種別 平山城
     三重県伊賀市柘植町浦出

福地城は西に石垣の表門を持ち、四方土塁の掻揚式の城です。
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本丸内部には、石蔵跡や井戸が残り周囲には、館跡、堀跡が現存しています。伊賀随一の中世の城跡であります。
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昭和四十三年三月に県史跡跡に指定されました。
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城主は福地伊予守宗隆で、「滿済惟后日記」に日置、北村と共に拓植三方と呼ばれ、当地方の国人であった。
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芭蕉翁の先祖は福地氏の一族であるので、この城跡を芭蕉公園と名付け句碑及び生誕碑を建て後世にとどめることにしました。
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福地氏城は、柘植(つげ)の中心である霊山を背にして柘植を一望することができ、現在、名阪国道上柘植インターチエンジの近くにある。
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昭和三十九年、名阪国道の建設で、一部破壊されたため一つの丘として残っている。
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城は四方の土塁が完全に残っており、掻揚(かきあげ)城とも言われるように、堀、城内とも土を掻揚土塁とし、北に門を開き、入口には俗に穴太積みと呼ばれる石垣があり、
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中央門扉の合う所に礎石が現存している。本丸内部の広さは50m✖28mで、東に石蔵跡、西に井戸があり、今も水をたたえている。
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堀の外側には、館跡と考えられるものが五ヶ所あって石積みの井戸が二ヶ所ある。なかでも本丸の北西に位置する三方に土塁のある一郭は、
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内部の広さ70m✖35mの大きな規模で、土塁・堀とも完全な姿で残っている。
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天正の伊賀の乱では、伊賀の土豪たちは力を合わせて織田信長と戦ったが福地氏は、天正九年(1581年)七月、織田信長をその居城安土に訪ね、伊賀攻略の道案内役を買ってでたのである。
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伊賀の郷土は、そのため信長軍に完敗し、伊賀一円は灰燼に帰したのであった。
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戦い終わってこの地に帰った福地伊予守は、郷土の人々の憎しみを一身に受け、
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また、貴重な神社仏閣を焼いた恐れから、城にいたたまれず、一族共々他国に逃亡したのである。
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その子孫は、江戸時代、伊賀者として活躍したともいわれ、この地に残る松尾家も福地氏の一族であります。
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俳人松尾芭蕉も或いは忍者であり、隠密であったという説もあります。
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この城の本丸は現在芭蕉公園と名付けられています。
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松尾家の菩提寺である萬寿寺は、城跡手前にあります。(松尾家の墓や芭蕉の供養塔などがあります)
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      (参考史料 日本城郭大系 現地案内板 その他雑誌)



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