堀秀治陣跡

堀秀治陣跡 築城年文禄元年(1592年) 築城者堀秀治 種別 陣城
      佐賀県唐津市鎮西町名護屋
      訪問日2015年11月  IMG_4252.JPG堀秀治陣は、名護屋城の西南にあって、写真00019.jpg
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大和中納言秀保陣と相対する丘陵上に位置しています。
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この陣は、規模は大きく、礎石建物跡が残存しており、
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かつ保存状態が良好なところから名護屋城陣跡の中では比較的よく知られています。
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堀秀治は幼名を久太郎といい、賤ヶ岳七本槍の一人として名を挙げ、以来豊臣秀吉に重用された人物です。
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堀秀治は天正18年(1590年)、父・秀政と共に小田原征伐に参陣したが、父が陣中で病死したため、家督を継ぐこととなった。
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11月6日、父同様に豊臣姓を与えられる。文禄元年(1592年)、文禄の役では肥前名護屋城に参陣した。IMG_4273.JPG
文禄・慶長の役当時は越前北ノ庄に居城を置く十八万石の大名でありました。
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この役には六千騎または三千騎を率いて参加した。
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堀秀治陣に指定されている陣跡は、丘陵頂部を削平し、周囲を切り落として区画したものであります。
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平坦部には礎石が露出しており、さらに発掘を実施すれば建物の構造が詳細に知られるでしょう。
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本曲輪 ここは本曲輪と呼ぶこの陣跡の中心となる所です。曲輪の周りは、防御のための土塁と空堀の跡が残っていて、その中に建物の礎石や飛び石や玉石が分布しています。
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礎石は広間・御殿・能舞台・楽屋・茶室の建物のものと推定していて、ここが単なる軍事基地ではなく、当時最高の文化水準で造られた陣屋であったことがうかがわれます。
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門は東北辺開け、石段を踏んで丘陵を下りるようになっている。
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なお、旗竿石が三個残っているが、複数の旗竿石を持つ陣はごく少数の大規模な陣に限られている所から、この陣は名護屋城の西辺を守る重要な陣であったと推定される。
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(参考資料として 日本城郭大系 案内板 その他雑誌)

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