月隈城(別名 日田城・丸山城・永山城)

月隈城(別名 日田城・丸山城・永山城) 築城年慶長六年(1601年) 築城者小川壱岐守 種別 平城
           大分県日田市丸山町

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三隈川沿いに日隈(ひくま)城、花月川沿いに月隈城があり、かっては隣接して二つの城下町があった。
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それぞれを中心に隅町と豆田町が作られたが、その後天領となり、九州一円の天領を管理する日田代官所が置かれ、この代官所を中心にして町が発展しました。
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慶長六年(1601年)、城は日隈山から月隈山に移った。日田・玖珠両郡二万石の領主として入封した小川光氏(みつひで)が日隈城を廃してあらたに町の北方、月隈山に丸山城を築いたのである。
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丸山城はこの後元和(げんな)二年(1616年)、日田・玖珠・速見三郡の領主となった石川忠総(ただふさ)によって永山城と改められる。
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江戸時代初期の日田は、代官と大名の支配が交替してつづくが、貞享(じょうきょう)三年(1686年)松平直矩が出羽山形に転封されて以後は、幕末まで天領地としてつづき、その行政庁として月隈山の南側に永山布政所が置かれた。
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代官所である布政所に代官が常駐するようになるのは、享保(きょうほう)(1716年~36年)の頃からのようだが、明和九年(1772年)には、九州の天領十二万石を支配する西国郡代に昇格する。
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永山城跡は本丸跡の石垣を残すのみだが、大手門側には堂々たる白壁の塀と石垣の一部が残っています。
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城跡から花月川に架かる御幸橋を渡ると豆田町の古い町並みに出る。この辺りは小川氏の頃から城下町が形成された所で「日田の掛屋」の豪勢さがうかがわれる邸宅や、古い薬舗などが軒を並べています。
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慶長五年(1600年)、関ヶ原の合戦によって徳川氏が実権を握った。翌六年、小川壱岐守が封ぜられ月隈山上に築城して丸山城と名付けた。
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この時友田村から民家を城南に移して丸山町と称した。この月隈城は完成まで三年間を要したので、その間は岳林寺の後山の仮城に居城していた。
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この仮城は日田八郡老時代の松陽砦かと思われる。小川壱岐守が死んで子供が無かったので、一族の小川喜助・小川又左衛門が守代を務めた。
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慶長十九年(1614年)、大坂冬の陣が起こり、小川氏は徳川方に属して出陣、留守居の老臣たちは豊臣方の蜂起に備えて、四方の堀の外にさらに出堀を設け、矢狭間を切り、搦手の橋桁を三間ばかり切り落とし、弓・鉄砲を集め、領内二十一か村の庄屋などを集めて警固した。しかし何事もなく元和元年(1615年)、夏の陣も終わって小川氏は帰城した。
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現在城址は月隈公園になっています。(参考史料 日本城郭大系 城郭と城下町10 日本城郭事典 現地案内板 その他雑誌)











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