明石城

明石城(別名 喜春城) 築城年元和五年(1649年) 築城者小笠原忠真 種別 平山城
       兵庫県明石市明石公園

明石城は日本百名城の58番目です。   訪問日は1999年(平成11年)三月と2015年5月です。明石城は別名 喜春城と呼ばれ縁起の良い城として有名です。
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明石城は家康の外孫であります、小笠原忠真(ただざね)によって築かれた城です。
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忠真は大坂の陣の功績により、明石10万石を与えられました。
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(櫓・右側が巽櫓で、左側が坤櫓です、坤櫓は伏見城からの移築とされ城内で最大の三層櫓です)
船上城(ふなげじょう)に入ったが、中世の色濃い船上城を嫌った忠真は現在の地に新城を築いたこの時、妻の父であった姫路城主、本多忠正や幕府の力を借りて、大掛かりな着工を始めた。
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この築城は二代将軍秀忠の特命ともいわれ、西国に睨みをきかす大きな役割をしていたことから、幕府でも多大な費用を援助したのであります。
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明石城本丸は丘陵の高台に築かれたが、天守台を設けたのみで、五層の天守は建立されなかった。
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しかし、正方形の本丸の四隅に連立する三層櫓は二ノ丸の最大の見所です、特に西南の坤(ひつじさる)櫓は十分に天守の役割を果たしています。
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明石城は別名「喜春城」と呼ばれるように縁起の良い城として有名であります。というのは、歴代の城主が加増、栄転しているからであります。
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小笠原氏の後、松平氏七万石、大久保氏七万石、松平氏七万石、本多氏六万石と続き、天和二年(1682年)、松平直明六万石より継承して明治に至ったのであるが、
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その城主達はいずれも加増され入部していった。
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明石の名産に鯛があげられるが、まさに「めでたい城」なのであります。
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本丸は丘陵の高台に築かれましたが、天守台を設けたのみです、天守は建立することがありませんでした。しかし、ほぼ正方形の本丸の四隅に連立する三層櫓はこの城の圧巻です。
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三層櫓は、1957年(昭和32年)に巽櫓・坤櫓が国の重要文化財に指定されました。
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坤櫓は讃岐の丸亀城の天守閣とほぼ等しく、その立地も共通点があります。この本守を中心に東に二ノ丸、東の丸、西に稲荷郭などが設けられた。
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築城後、忠真は海に面した東方が手薄と感じ、東門の前に千石堀を巡らし、また北口には空堀二ヶ所を設けた。この空堀は籠城戦に備えて二十兵ずつの伏兵を隠す計画で造られたという。
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ところが、この工事について、忠真が幕府に無断で行い、このため寛永九年(1632年)十月、豊前小倉に移封されたと言われる。これは、肥後熊本の加藤忠広が改易されて出羽に配流となり熊本城には小倉城主細川忠利が移され、細川氏の後任として小倉城に入ったものであります。
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(参考史料 日本城郭大系 日本城郭事典 現地案内板 その他雑誌)








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