上赤阪城

上赤坂城(別名 楠木本城) 築城年元弘年間(1331年~34年) 築城者楠木正成 種別 山城
     大阪府南河内郡千早赤阪村

楠木氏の根拠地であるこの地方は、金剛葛城連山が天然の要害となって東・南の二方にそびえています。
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西方には槇尾・天野の山が連なっています。
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また、南方は高野街道が通じ、紀伊見峠を経て紀州紀の川の川流域に通じています。
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東方は水越峠を経て大和平野の南部に出ることができます。即ち、東・西および南の三方面は山に囲まれていて、ただ北方のみ平野につながっているのであります。
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富田林の北で石川は二つに分かれて、東条川・西条川となる。この西条川の東方には岳山・横山と称する丘陵があります。この岳山と金剛山脈との間に挟まれた細長い東条川の渓間が、すなわち楠木氏の本拠地です。
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この東条川をさかのぼると赤阪の地であり、ここより平地がなくなり、狭い渓谷が金剛山中へ分け入っているのであります。三方が山に囲まれていることは、非常に攻撃され難い地勢といえる、楠木正成が、この地に本城を置き、金剛山中の千早城を詰め城とした事はよく理解することができます。
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城跡の現状は、西南方の最高部を本丸とし、東西30m✕南北130mの長方形をなしており、
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その周囲に幅15mほどの帯郭が取り巡らされています。
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その南端は10mほど低く、南北25m✕東西40mの平地がある。二ノ丸は「東の城」ともいい、本丸の東北にあってやや低く、東西70m✕南北40mの平地となり、南端と北端には約20mの袖郭がついています。
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さらに西北には、四段の袖郭があって出丸と称されています。本丸と二ノ丸との間には、東西40m✕南北120mの台地があって、字名を「茶碗原」と言い、陣小屋・炊事場のあった所だと伝えられています。
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城の後には井の谷があって堤を築き、水を貯えて一町四方の池として「一町田池」と呼ばれ、飲料水に供されたものと思われます。
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上赤阪城は標高349.7m、比高150m、自然の険しい地形を利用した中世山城です。小根田城・桐山城・楠木本城とも呼ばれています。鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成によって築城されたと言われています。元弘三年(1333年)、平野将監と楠木正季は、多勢の鎌倉幕府軍に奮戦しましたが、水路を断たれ落城しました。糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷」と言う地名になって残っています。合戦の様子は「太平記」からもうかがえます。
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(参考史料 日本城郭大系 日本城郭事典 現地案内板 その他雑誌)





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